地球標準語というナンセンス

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「エスペラント語」って知ってます???
これまた、古い話ではあるんですけど。

その昔、「地球標準語」とやらいうことで、
開発された言語、なんだそうですよ。


まぁ、中学のときの国語の先生は、
「君たちが大人になる頃には、みんな、
エスペラント語で話すようになるだろう」と、
真剣に授業で言ってましたが^^;

20年たっても、結局、エスペラント語で
「ハロ~」ってなんて言うの???ってなことすら知らず、
エスペラント語が話せます!ってな人も見たことないし、で、
結局、何だったんだ・・・><という言語です。

「地球標準語」なる、無駄に壮大な言語を目指したという、
その「そもそも」からして、ナンセンスなんですけど、
もう、何もかもがナンセンスなシロモノだったわけです。

だって、すでに、英語で通用しているところに、
わざわざ、新しい言語を取り入れる意味がないでしょ!?
誰だって、言語を習得する苦労はしたくないもん。

それに、どちらにせよ、文法なり、活用なり、
言葉そのもの(名詞・動詞・形容詞・・・etc)なり、
どこかの言語を基にするしかないんだから、
じゃぁ、結局、その言語でいいじゃん!ってなことになるわけです。

それに、言葉の成り立ちには、その土地の風土や文化が、
色濃く出て当然でしょ!?

例えば、日本語では、牛肉を食べる習慣がなかったから、
牛肉の部位の名前なんて、ろくに無いじゃないですか?

「ロース」「カルビ」「ホルモン」とか、
そういうのって、全部外来語でしょ?

でも、牛肉を食べてきた民族にしたら、
その肉の部位は、こと細かに名前をもっているよね?

韓国の焼肉がいい例です。
むちゃくちゃ細かく肉の名前があるでしょ?

逆に、日本だと、魚の種類や部位の名称は、
世界一多いよね!

「中トロ」と「大トロ」とか、「ハマチ」と「ブリ」とか、
クッキリ分けて、「別物」だと思ってるけど、
内陸の民族から見たら、全部「フィッシュ」だよねー。

そういう、文化や民族の個性が「言語」なのに、
地球標準語ってーのは、そういう細やかな「個性」を
全否定しちゃうことになるんだもん。

それに、その土地で、文化が生きている限り、
新しい言葉ってのは、常に活発に生まれるよね。

「キモい」とか「ショボい」とか、
はやり言葉から、そのまま根付く言葉も出来るし、
この「ニュアンス」は、よその言語では表現できないし。

そういう生きて進化し続ける言葉に、
エスペラント語が対応できるか、と言えば、ノーでしょ?

うーん。

最初は、ヨーイ、ドン、で、いっせいに同じ言葉を使っても、
あっという間に、その土地の文化ごとに、
新しい言葉が生まれていくから、
結局、いずれ通じなくなっちゃうってこと。

ただし、「地球標準語」なら、
英語や欧米文化に反感を持つ民族への配慮にはなるよね。

でも、わざわざ、新しい言語を覚えないといけない苦労とか、
その土地ならではの細やかな文化の個性とか、
すでに英語で意思疎通できているのに、
エスペラント語を導入しないといけない理由とか。

エスペラント語を使えるようになって得られるメリットより、
実生活上もたらされるであろうデメリットの方が大きいと、
地球上の多くの人が感じちゃったから、
結局、ろくに使われることもなく、忘れられかけているんだけど。

これ、ひとつポイントなんだけど、
誰も、エスペラント語を「習ってみて、ダメだった」じゃないの。

なんとなく、「だめな感じがする」から、
ろくに知ろうともせずに拒否しちゃったってこと。

これは、エスペラント語を開発しようとした人たちが、
エスペラント語を習得したらこんないいことがあるよ、っていう、
「メリット」を、十分伝えなかったという、訴求の悪さが敗因だよね。

それに、大多数の人たちは、私も含めて、
「自分もエスペラント語を習得しないと生きていけない」ことが
うすうす分かってから、習い始めればいいと考えるのね。

例えば、会社がエスペラント語で意思疎通を図ることになった、とか、
テレビが地デジに切り替わったように、
新聞やテレビや雑誌で使われる言語のすべてが
エスペラント語だけになることが決まった、とか。

ちょっと買い物に行くのでさえ、
ポテトチップスの袋がエスペラント語表記になってるから、
「うすしお」がどの袋か分からない、とか。

そこまでいけば、みんな、血相変えて、
語学スクールに殺到するんだけどね。。。

        つまり、

今、わざわざ行動する必要性が感じられないものに、
喜んで苦労を買って出る人のほうが少ないよ
、ってこと。

うすうす、気がついたでしょうか?

その土地の風土や文化ってのは、
誰にも侵せない、「個性」なのね。

この部分は、あなたのブログにも当てはまるでしょ。
「地球標準語」っぽい、無個性を追求したら、
だれにも見向きもされないまま、忘れられていくよね。

海に囲まれて、魚を食べる民族なら、魚の、
内陸で家畜を飼い、肉を食べる民族なら、肉の、
個性の違いがブログに現れて当然なんですよね。

ブログの読者ターゲット属性をキッチリ決めるってのは、
こういう「個性」の演出でもあるのね。

個性が際立てば、当然、活発に文化が育つでしょ?
生きて進化し続ける文化に、「平坦化」は出来ないでしょ。

おんなじマニュアルを使っても、
ブログがにぎわう人とそうでない人が出てくるのは、
生きて進化し続けることができる個性を表現できるかどうか、
ってことじゃないかな?

エスペラント語が誰にも使われなかったのは、
細やかな個性や文化を表現しきれなかったからでしょ。

「地球みんなの言語」が、「自分の言語」とは、
思えなかったってことだよ。他人事に思えちゃって。

ブログに置き換えて考えてみれば、
面白くもなんともない、当たり障りのない記事ばかり、
熱心に毎日更新しても、読者さんは共感できないし、
自分の事だと思って真剣に読もうと思えないよね。

さらに、そこから、おんなじマニュアルを使っても、
稼げる人と稼げない人が出てくるのは、
「どうしてもエスペラント語が必要になったら習おう」的な、
いま行動する意味をさっぱり感じていない大多数の読者さんに、
「行動を起こすことで得られるメリット」が伝わってないからでしょ。

なのに、「エスペラント語は地球標準語だから習おう」と、
行動を強要するフレーズだけはリフレインしているのよね。

稼げている人は、活発な文化の個性を持っているし、
エスペラント語がないと、あなたの身に実害が出る「危機感」や、
苦労してでも習得すれば訪れる素晴らしい暮らし(=メリット)を
ちゃんと伝えてるんだよ。

ただし、勘違いしてはいけないのは、「文化の個性」とは、
文章の語尾に「~~~だにゃ♪」とか、「~~~でござる」とか、
そういうのを付けてみることではないのですよ(笑)

ああっ!!この話、続くかも!?

コメント

  1. あきら より:

    こんにちは、はじめまして
    いつも役に立つ記事を発信していただいてありがとうございます。

    言語は文化そのもので各地域に固有のものだというのは
    確かにその通りだと思います。

    エスペラント語をスローガンはあるが学ぶメリットのない典型として
    あげておられるのもまったくその通りですね

    確かに日常生活に必要がなければ誰も学ばないでしょう

    逆に普及した共通語の例を考えるならアフリカのスワヒリ語があります
    スワヒリ語は東海岸の共通語として発達した言語で主に交易商人に
    使われていたようです。

    つまり、スワヒリ語を覚えないと商売ができないから覚える
    目の前にスワヒリ語を使って稼いでいる商人が大勢いて
    「よし、俺も覚えよう!」となるわけですね

    ブログで稼げない人と稼げる人の違いは、そのメリットや
    必要性をちゃんと伝えているからというのは確かにそうですが

    それが難しいんですよねwww

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